プレトリア

南アフリカ共和国

 

 プレトリア裁判所

                        南アフリカ共和国の行政上の首都がケープタウンでもヨハネスブルグでもなく、プレトリアであることを知る人は、そう多くないだろう。

 プレトリアは、幾多の争いの中で転がり続けた南アフリカ共和国の歴史を知る古くからの「証人」なのである。     

 17世紀の中頃以降、急激に増加したオランダ系移民(ボーア人)に危機感を抱いたのがイギリスだった。

 1815年、当時帝国主義政策を採っていたイギリスはケープ植民地を占拠し、さらに1833年にはボーア人が依存してきた奴隷制度を廃止。        これを嫌ったボーア人たちは新天地を求めて北方へと大移動を開始、イギリス軍の追手を逃れて1852年にトランスヴァール共和国を、1854年にはオレンジ自由国を設立したのだった。

 1891年に建てられた旧南アフリカ連邦議事堂、19世紀末から今世紀初頭にかけて建てられた旧トランスヴァール国会、上級裁判所など歴史ある建造物が建ち並ぶ。その中心部分に威厳ある風貌でたたずむのが、ポール・クルーガーの像である。

  

  

 ポール・クルーガー教会

                      

  トランスヴァール共和国の大統領だったポール・クルーガーは、今もアフリカーナ(ボーア戦争後、ボーア人は自らをこう称するようになった)たちに英雄視され、崇拝されている。

 その大きな理由は、1899年に始まったボーア人とイギリス軍のボーア戦争で指揮をとったというこにある。

 この戦争でボーア人はブレトリアを明渡すことになるのだが、最後まで戦い抜いたポール・クルーガーに対し、ブレトリア市民は銅像以外にも彼の住んでいた家を保存して残すなどして、賞賛をおしまない。

 それは彼こそが、アフリカーナの誇りそのものだったからだろう。開拓者としての自負と、ボーア人としての誇り。政権が変わり州名からトランスヴァールの名が消えても、この地がアフリカーナたちの心のふるさとであることには、変わりはないのである。

  

開拓者記念碑

                       南アフリカ共和国

 人口 4334万人

 面積 約122万3410平方km

 首都 プレトリア

 民族 ズール/コーサ/ソト/ツワナ族 の先住民77%、欧州系11%、カラ ード(混血)9%、アジア系3%

 言語 英語/アフリカーンス/ズール 政治 共和制

 元首 サボ・ムベキ大統領 *ネル ソン・マンデラさんは’94〜’99年  大統領(大統領任期5年)     通貨 Rランド  1$=7R

 宗教 キリスト/イスラム/ヒンドゥ/     ユダヤ

 平均寿命 男 57.5歳

        女 63.5歳

 独立 1910年5月31日

 

 

 

 
 

ジャカランダの花

 

 春遅く、美しい紫色の花を枝一杯に、たわわにつけるこの樹は、ノウゼンカツラ科の木 で、原産地は南アメリカ。

 日本の桜と同じく、花が終わる頃、藤の葉のような長い葉が出てくる。実生とさし木によ って繁殖できる丈夫な木で、その美しさ故に、世界各国に運ばれ、オランダ、スペイン 、ポルトガル、ハワイなどの街路樹にも見かけられる。  

 プレトリアに初めてこの木を もたらしたのは1888年、J・Dシリエという農園主が、た った2本の木をリオ・デ・ジャネイロから輸入、苗木を育てた。今では市全体で7万本以 上、街路樹として植えられている道路の総長は650Kになるという。ジャカランダ・シテ ィとも呼ばれる所以。

 訪づれた10月21日、満開を迎えたジャカランダの花は、昨夜の風で舞い散りちょっと 残念でした。ガイドさんが花のありそうな道へ案内してくださったので、見事な紫の花を 堪能しました。                  

 

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