ケープタウン

南アフリカ共和国

 

 アザラシ

                        

 ホウト湾より船に乗って、シールアイランドで棲息するアザラシ大群を見る。     

 

 カーステンボッシュ植物園                       

 

 

 南アフリカの国花「プロテア」をはじめ 9千種もの植物を見ました。

  

 アグラス岬

                      

 地理学上の最南端、南緯34度49分、東経20度。塩の色の違いによって、インド洋と大西洋の境界がはっきりとわかる。

 

 ボルダーズビーチ          

 

 ジャッカスペンギンが沢山生息している。ここを始めケープ半島の東側の海岸では、9月〜1月の間に、鯨を見ることができる。

  

喜望峰

 

 長い間アフリカ大陸の最南端と信じられていた岬。強風による海難事故が多かったことから、最初は「嵐の岬」と名づけられた。オペラの「さまよえるオランダ人」の幽霊船は、ここで遭難したのだ。その後、「希望峰」とかえられた。                       デーブルマウンテンより

       

                    

  その名通り、山頂が平らで標高  1088m。ロープウエイで上る。ライ  オンズヘッド、ケープ半島、ロビン  島(マンデラ前大統領が27年間も  幽閉されていた)、テーブル湾のす  ばらしい景観が楽しめる。

 

     
 

 
 

南アフリカの印象

 

観光  

雄大な自然を誇る南アフリカには多くの国立公園があり、動物の種類の多さは、アフリカ大陸の中でも上位を占めている。観光設備も非常に良く整っていた。 

黒人の住居  

快適な南アの旅は、最終目的地ケープタウンへと向かっていた。車窓から延々と見えるのは、トタンや板の切れ端を集めて作ったスラム小屋である。きちんと家の形をし、電気も通じている屋並み「ソウエト(?)」が、ほんのわずかに、その先、スラム街に続いている。マンデラ前大統領が500万戸の黒人住宅を確保する約束をして、現政府もその約束を継続中だが、全黒人にいきわたるにはまだまだである。

仕事

1991年アパルトヘイト基幹四法が廃止されたが、全ての差別法、条例が撤廃されたわけではない。失業率の高い黒人だが、南ア政府からの援助はない。彼らは徒歩で町へ行き、仕事を探すか、物乞いか、或いは観光客の持ち物を失礼するか、そうした方法でしか食べていけないのが現状のようだ。

治安  

白人、黒人共に開放された街に職の無い黒人が入り込んで来たことによって、結果的には街の治安が悪くなり、皮肉にも、今やヨハネスブルグは、アフリカ有数の危険な街  に変わってしまった。

物価  

石油を除く全ての鉱物が、国内で産出できる。(特に金は世界一)それなのに、物価  は高い。  日本に近い金額(コカコーラ70円)。

白人の生活  

小学校の頃から理屈ぬきに、耳に心地よく響いた喜望峰のある、ケープタウンへ到  着。ヨーロッパかと思うようなアフリカ離れした街には、白人ばかりが目につく。南下して、岬の西を通り先端へ  進む。喜望峰へ向かう道沿には、白人の豪華な邸宅が、海を望む高台に建ち  並んでいる。南アの金持の白人居住区。あのスラム小屋とあまりにも対照的な風景に唖然とした。                                             

鯨  

狭い展望台の人並みをかき分け、大西洋の海を眺めた。「ホラ!鯨だ!」「何処?」  遠くの海面が白く波立って、鯨の動きを伝えてくれる。

音楽

車中を流れるエネルギシュな音楽、踊りだしたくなるような気分。曲名を尋ねるとと教会の音楽だという。CDを探したがなかった。トラデショナル・アフリカン・ミュージックのCDを買い求め、自宅で楽しんでいる。底抜けに明るく、未来への希望を持ち続けるアフリカ民族の心に触れたような気がする。

感想  

ヨーロッパ人には、歴史的な背景を持つ岬がここなのだ。 本当に、南アの景色は美しい。  こうした美しく豊かな南アフリカの風景には、いつも黒人の姿はない。そのことが、私の心の中に少しずつよどみを作っていった。

願い 

アフリカは本来貧しいところではなかったし、今でも豊かな土地が沢山有る。飢えている人もいるが、そうでない人の方が圧倒的に多い。それなのに、何故アフリカを「飢餓の大陸」とイメージするのだろうか。  すべての土地がそうであるように、南アもまた、侵略と収奪の歴史だった。視点を変えて移民たちからみれば、新大陸への夢と希望を実現する歴史でもあった。今回の旅では、遠く離れた日本では押しはかることが出来ない現実を目の当たりにした。素晴らしい南アを旅し、美しさに感動した一観光客として、旅の終わりに精一杯出来ることは、アフリカンとアフリカーナーの共存を願うことだけである。

  

 

                  

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