アプサラの踊り

  クメール文明の華、アプサラの踊りは9世紀頃生まれた宮廷舞踊で、神や王に捧げられるものであった。踊り子は王室古典舞踊学院で養成されていたが、ポル・ポト時代に、300人を超す先生や踊り子の90%との人々が、処刑され、関連書物も消失した。難を逃れた数人の先生によって息を吹き返した。伝統舞踊復活を目指して、子供たちを中心とした「舞踊教室」が始められた。

 カンボジア王国 Kingdom of cambodia

 面積    181035平方km (日本のほぼ半分)

 民族言語 93%クメール人。クメール語

 人口    900万人以上                  
 宗教    上座部仏教(肉食、妻帯は禁止)

 政治形態 議会君主制

 通貨    リエル。US$も標準使用。

 気候    熱帯モンスーン気候。年間平均気温27度

   4月〜10月  雨期、11月〜3月  乾期

 

4.カンボジア

 

 

 

 

 


トンレサップ湖

 トンレサップ湖は、季節によって大きさを変える湖で、水面積は乾期時3万平方km、雨期は、アジアの大河メコン河が逆流して、3倍の大きさになる。湖沼、湿地、浸水林を潤し、更に平原部に豊富な水を供給してカンボジアの農業を支えている。

 トンレサップ湖の淡水魚は300種類にも及び、年間魚獲高は10〜12万トン、クメール料理の中心を担っている。                       

 水上生活者は、湖の水量に合わせて動けるようにボートの上に小屋を建てて生活している。水上の町には、学校、美容室、喫茶店、ガソリンスタンドまで揃っている。

 ポートに乗って湖を周遊すると、ラッシュアワーに遭遇したり、籐や竹で作られた「いけす」、屋根には魚や海老が干してあり、それを食べたり、売ったりして生活をしている。水上家屋でペットも飼われている。

 船がせめぎあった狭い水路でボートを進めるには、手伝いの子供が一人ついている。これがまた実に気がきいて良く働く。年端もいかないのに学校にも行かずに、家計を助けているのだという。

 

 


王 宮

 カンボジアが世界史に登場するのは、6世紀半からである。当時真ろうと呼ばれたクメール民族の国は9世紀から15世紀にかけて、アンコール王朝として、隆盛を極めた。

 その後20世紀後半までは、大国や近隣諸国の干渉と、相次ぐ内戦の時代であった。自由と平和を取り戻した今、カンボジアは新たな繁栄に向かっている。

 現在王宮は、国王と王妃の公務と居住の場となっている。


 身内にポル・ポトの被害を受けなかったカンボジア人はいない。宮廷内の一画で、踊りを披露する弧児たちは、置かれた箱に入る基金で、生計を立てている。これを応援しているのは、すべてボランテアだという。

 

 


 ワット・プノン

 丘の東側からナーガの階段を上ると、正面に本堂。内部中央に黄金の仏像、それを取り巻くように沢山の仏像が祀られている。シャムの侵略を受けて、アンコール王都を放棄し、この地に都を移したポニャー王の遺灰が納められている。ペン夫人の像を祀った小さな祠もある。人々の篤い信仰に護られて今も線香の香りが絶えない。
 

 

               働く子供たち 

 セントラル・マーケットの通路の一角で、大人が仏事物を売っている。その後で子供が一生懸命華をさしている。

 

 

 

 プノンペン セントラル・マーケットの風景

 

 

 

 

       「沙羅双樹の花と実」 王宮内の前庭にて

 

 

ホームへ

旅へ

1.トップページへ