中東の資料館3.確執 と領土問題


 

ペトラの水路

  確執と領土問題

 ★3大宗教の生まれたエルサレムの旧市街には、メッカ、メディナと並ぶイスラム第3の聖地「岩のドーム」と、前30年ボルボトの丘で十字架にかけられたキリストを祀った「聖墳墓教会」と、ユダヤ教のソロモン神殿の一部の「嘆きの壁」がある。

 ★前1250年カナンの地を目指したユダヤは、迫り来るエジプト軍から「モーゼの奇跡」に助けられ、カナン(イスラエルの神からそこに住むようにいわれた約束の地のこと)に都を築く。前60年、やがてローマ軍に占領された。この間にキリストが処刑された。紀元70年ユダヤはローマに蜂起され、ついに国を追われ以来2000年もの流浪と迫害を受けることとなる。

 ★中世ヨーロッパでは、キリストを売ったユダヤとして土地の所有も許されず、ゲットーに押し込まれ、当時は卑しいとされ、金貸しが唯一許された職業であった。

.


 

 ★財を蓄えて次第に影響力を持つようになったユダヤ は、フランス革命の自由と博愛の精神によって平等の権利を得た。この時期に学問や芸術を学んだユダヤ人に、ハイネ、ブルースト、マルクス、フロイト、メンデルスゾーン、ビゼーなどの傑出した人物がいる。しかしこれが更に迫害をますことになっていく。

 ★帝政末期のロシアの「屋根の上のヴァイオリンひき」などに見られるように、ユダヤ人は国を追われ、新天地を目指して自由の国アメリカへ三百万人も渡った。

 ★第2次世界大戦中の1942年、ナチスドイツにより「最終的解決」だとて600万人ものユダヤ人が虐殺された。今イスラエルの「嘆きの壁」に灯る6本のトーチは、ユダヤ人の捧げられているものだという。

 ★話しは少し反れるが痛ましい犠牲者は流浪の民ジプシーもユダヤ人に勝るとも劣らぬものがあったようですが、不幸なことに文字をもたないジプシーには記録がなく、したがってその補償も受けられなかったというまことに痛ましい話しです。ご存知でしたか。

 



 ★対戦後の1945年ユダヤ人は釈放された。シオンの丘(エルサレム)へ帰る。(シオイズム)

 ★1947年11月29日イスラエルをユダヤ人国家とアラブ人国家とにして国連管轄下に置いた。

 ★48年イスラエルはアラブの反対を押し切って、イスラエル建国を宣言した。これを後押ししたのが、国内に580万のユダヤを抱えるアメリカだ。全世界のユダヤ人の人口は1400万人。

 ★イスラム教徒は税金を支払うことで、異教徒と仲良く共存していたが、イスラエルの建国によって均衡が崩れ、第1次中東戦争が起り、イスラエルの勝利によって10万のアラブ人がパレスチナを追われ難民となる。

 

.



 ★1973年の第4次中東戦争や湾岸戦争など幾たびもの悲劇を迎えた後の1993年9月13日、ワシントンDCホワイトハウスで、パレスチナに住む住民に自治を与えることで、両国代表が合意した。

 ★イツハク・ラビン首相が20万の市民に平和を語りかけている時、平和反対のユダヤ過激派の青年に暗殺された。

 ★パレスチナPLOのリーダー、アラファト議長はテロを抑えられなくなった。

 ★もう中東の和平は遠のいて久しい。そして今もまだ戦火の真っ只中だ。宗教の違い、民族の確執、領土問題を抱えて対立し、21世紀の今も未解決だ。そして、私達すべてに投じられた課題なのではないだろうか。

             トップへ