ソフィア


 
解放者記念像

 国会議事堂広場の中央にロシア皇帝アレクサンダル2世(1818〜81年)の騎馬像が立っている。

 露土戦争の勝利によって、ブルガリアをトルコから解放した英雄だ。

 高さ14m.。右手にはトルコへの宣戦布告書を持ち、台座には「我が兄弟、解放者のために」の碑文が刻まれている。

 地元の人々が利用するマーケットに行ってみました。                

 果物がきれいに並び、おいしそうなので、買う交渉に入りました。英語が通じません。体格の良いお兄さんがたが、まくしたてるので、手真似も通じません。

 助け舟がきました。英語をブルガリリア語に替えてくれました。

 どちらの果物がおいしいか?

 おいしい方を10個くださいと・・・

 ちなみに秤は目方で、昔日本で使っていた、天秤ばかりでした。

 パンや蜂蜜など個売りものは難なく買えました。

 何だかやっとブルガリアに親しみが沸いてきました。

 

 

.ソフィア

    

         

      ブルガリアの国旗

  ソフィアはヴィシャト山とリュトン山の麓、海抜550m.の高位盆地にあり、比較的温和な温帯大陸性気候で、明確な四季がある。

 ソフィアが首都と定められたのは、オスマン・トルコから開放された後1879年のことで、681年の建国以来、プリスカ、プレスラフ、ヴェリコ・タルノボに次ぐ4番目の首都である。

 だがこの町の歴史そのものは遥かに古く、ヨーロッパ全土でも最も古い町のひとつに数えられている。

 この地に人が住み始めた足跡は石器時代に遡り、紀元前5世紀にはトラキア人の集落が生まれていた。

  ソフィアはローマ時代以降、東西交通の要衝であり、また戦略上も重要な拠点であった為、ローマ、フン、ビザンチン、ペチェネグ、マジャール、十字軍、オスマン・トルコなど、さまざまな民族や国家の侵入を受けている。

 ソフィアの地名は、6世紀に建てられた聖ソフィア教会に由来するもので、現在でも市中にその教会があり、内部に入ると創建当時の礎石部分をみることができる。

 

 


アレクサンドル・ネフスキー寺院

 アレクサンドル・ネフスキー寺院は、オスマン・トルコからの独立の契機となった露土戦争の20万人に及ぶロシア兵犠牲者を悼み、またロシアに感謝する為に建てられたもの。

 現在地下はイコン博物館となっており、ブルガリアのイコンの粋を長い時間のスパンをもってたどることができる。

 

 


 旧共産党本部

 第二次世界大戦後の社会主義体制下では、旧ソ連に忠実な国家建設が進められてきた。  

 民主化からはや10年が経過した現在のソフィアは旧ソ連やブルガリア共産党に関する建物や銅像が撤去され、通りや広場の名前も旧ソ連を連想させるものは一掃された。 

 町そのものも、そしてそこに生きる人々の意識も、いま加速度をまして変化しつつある。 

 この立派な建物も現在は議会で使用されている。

 明日の投票日を控えて、今夜はレストランや商店もアルコール販売が出来ないし、飲んでもいけないという。旅行者も同様に扱われる。

 ちなみにブルガリアの総選挙で勝利したのは、シメオン2世でした。

 

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聖ゲオルゲ教会

 
 ホテルの裏手にあり、周囲をビルに囲まれ隠れるように建つレンガ造りの教会。

 4世紀にローマ帝国によって建設されて以来、長い歴史を今に伝える貴重な建物である。

 内部の壁や天井には10〜14世紀に描かれた宗教画が見られ、教会の背後にはローマ時代の浴場跡などが残る。

 

 

リラの僧院

 首都ソフィアから南へおよそ120km.下ったリラ山中に建つリラ僧院は、ブルガリア正教最大の修道院である。

 24の円屋根のある聖処女聖堂を300以上の独居房を擁する4階建ての外陣が取り囲んでいる。

 その創建は10世紀、この地に隠遁生活をおくった修道士イヴァン・リルスキーを端緒とし、14世紀末以降500年続くオスマン・トルコの支配下では、民族の心の支えとしても重要な役目を負っていた。

 

 

 

 

リラの僧院

 標高1147m.に建つ僧院は創建以来何度かの火災や地震などで余儀なく再建された。14世紀に建てたヒレロの塔(高さ25m.の鐘楼)を除いて、現在の建物の大半は1833年の大火以後のものである。

 オスマン・トルコの支配下では、非イスラム教徒は 従属民の位置に置かれ、職業選択、税金など社会的にさまざまな差別待遇を受け、強力な同化政策のもとで、正教の信仰やブルガリア語の使用まで禁止された時期がある。            

 だが深山に建つリラの僧院はそうしたくびきから離れ、自治的な特権を保つことが出来た為、民族主義のよりどころとしての意味をも担うことになったのだ。

 社会主義時代に博物館として接収され、僧侶が放逐されたわずかな一時期をのぞいて、創建から今日まで強い権威と独特の宗教的伝統を保持しつづけたのである。

 交通手段のないこの深山へ、巡礼者は食べ物を背負い幾日もかけて、たどりついたという。

 今でもこのリラの僧院から伝わるメッセージは大きい。勿論ユネスコ世界文化遺産に指定されている。

 

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