ナスカ
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ナスカ台地 大地に描かれた絵を空から探訪する ナスカとフマナ平原の地上絵は、ペルーの首都リマの南方約400kmの海岸部、グランデ川とインヘニオ川の間に認められる。 海抜約500mのナスカ台地に描かれた、ライン及び地上絵は22キロ平方kmの範囲にわたり広がっている。 ナスカ台地は酸化して、黒くなった石に覆われており、その下には酸化していない、白色の地山が堆積している。地上絵は、表面に広がる黒色の石を取り除いて、白色を露呈させることによって示されている。 絵とはいっても、大方が直線、ジグザグの線、渦巻き文様などを始めとする幾何学模様で、直線の中には10km以上の長さに及ぶものもある。具象的な文様は、凡そ30程度に過ぎない。具象性を持った文様の中では、有名な「ハチドリ」を始めとする鳥の類が最も多く、「クモ」、「サル」、「シャチ」等といった動物や魚、花や木などの植物、人間などもある。
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ナスカ台地 地上絵が描かれた目的 未だ解明されていない部分が多く、一時は宇宙人のメッセージ説もとび出したほどである。地上絵研究者ライヘは、この地上絵と星座の動きとの密接な関係を指摘している。 インカ以前のアンデス社会において、天体の動きを観察することは極めて重要であった。 クスコで「太陽の神殿」を中心に、目に見えない聖なるラインが、放射状に、41本伸びていたのに基づいて、ナスカの直線が交差してる部分に着目した研究者もいる。 そこから伸びるラインは、雨期に太陽が昇る方向に、集中しているという。 中心部には石塚があり、儀礼を行っていた痕跡が確認されている。 地上絵を作ったナスカ文化(200〜700年頃)の中心地は、カワチというピラミッド型の神殿である。この神殿とナスカの地上絵が認められる台地とは、当時の道で結ばれていたこともわかっている。
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ナスカ台地 彩文土器に描かれた同じ図柄 フマナ平原、インヘニオ平原、コロラーダ平原の3つの区域に分けられている、ナスカ台地全域から、少量ながらも土器が採集されている。 ナスカ文化に属するものが最も多く、その中には、地上絵と同じ図柄を有したものもある。よって地上絵がナスカ文化によって、描かれたことは明らかだ。 9色もの色を用いた多彩なナスカの土器には、農耕儀礼およびそれと関連した神の図柄が多い。この神は、生首とトゥミという儀礼用のナイフを手にしており、豊穣を期して生贄を捧げていた痕跡が観察される。 地上絵に描かれたシャチも、やはりこのナイフを手にしており、同じような意味を有していたものと思われる。 また収穫の時期にあたる頃、活動が活発になるハチドリも、豊穣と密接な関係を有していたことが想定され、雨が極端に少ない地域における農耕社会の営みが垣間見られる。
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ナスカ ナスカ観光はリマから軽飛行機で、90分弱でイカへ到着。 寒いクスコからリマへ、リマからイカへと移動するうちになんとイカは灼熱の地獄と化す。 イカ空港からは、定員数名から10名ほどの観光セスナ機に乗り換えて、地上絵を観察する。所要時間 1時間20分 地上絵がすぐ見えるのかと思って、首が痛くなるほど窓の下を見つめる。見たこともないナスカ・バンバに圧倒されながら、30分位たつと、パイロットが日本語で「宇宙人」「宇宙人」!「サル」「サル」!と繰り返す。 これこれとばかりに、カメラで写すが、いくらホーカスしても白く光った大地は、セスナ機のゆれとあいまって、シャッターを切らせてくれない それにパイロットにチップを、先にはずんだものだから、彼はここぞとばかり、いくども近づいたり、旋回したりサービスするので、後で聞いたら、我が友は3人共グロッキーだったのでした。 とにかくこの広い砂漠と、描かれたでっかい地上絵には、度肝をぬかれ、目に焼き付ける以外に、能がありませんでした。
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