城壁


 西安は昔、長安と呼ばれた都で、その名が歴史に登場するのは、紀元前11世紀まで遡る。長安を都とした国は、さまざまあるが、始皇帝が支配した秦、西城経営に乗り出した武帝の漢、そして唐に引き継がれていった。

 巨大な城壁は唐代の皇城を明代に造り直したもの。その改修は、明の洪武3年から11年(1370〜1378)までかかり、唐の古城の1/9に縮小されている。

 壁の東西南北には、それぞれ門があり、周囲を取り囲む城壁は、長さ13,7キロにも及び、西安のシンボルにもなっている。城壁といっても上部は車道のように広く、毎年城壁マラソン大会が行われるとのこと。     

 

1.西安城内と中央

 

 

 

 

 

 

 


碑林


 唐代の「石刻十三経」の保存をはじめ北宋代1090  年から集められた漢代から清代に至る歴代の名筆  を刻んだ1095基の石碑が林立する中国最大の石  造文庫。                         

 碑林とは文字や図像を刻んだ多数の石碑の集合を 意味する。昔の西安の孔子廟を基礎として、1087年に建てられた。

 石碑展示室、石刻芸術展示室、臨時展示室の三つに分かれる。

 紀元前11世紀から10世紀までの中国の政治経済  伝統文化の知性と教養、芸術と文明の実態をよく伝えている。また彫刻技術者の高度な水準も示している。 拓本をしているところを見せてもらう。 

 

 


 大雁塔


 小雁塔は薦福寺にあり、十三層、高さ43m軒と軒の間隔が狭い密檐式の塔。             義浄法師がインドから持ち帰ったサンスクリット経典を漢訳した。     

 唐の開成5年、日本の慈覚大師円仁は長安に学びこの寺に逗留した。多くの経典を日本に伝え、帰国後延暦寺の堂塔を整備した。

 大雁塔は慈恩寺境内にある。唐の高僧玄奘法師がインドから持ち帰った経典を訳した。

 楼閣式煉瓦造りの7層、高さ64m、中の螺旋階段で最上層に登れる。

 仏殿図は日本の奈良・平安時代の木造建築の原型となっただけでなく、中国建築史上でも唐代の建築様式、絵画、彫刻芸術を伝える貴重な文化財である。

 大雁塔は1300年の寺暦があり、その間7級以上の地震に2度も見舞われながらも、昔日の雄姿のままに重厚な姿を見せている。            .

 


青竜寺・空海記念碑


 大興善寺において、長安にいた印度の名僧不空より、密教を深く学んだ恵果は、青竜寺の住職となり、真言大教を創立した。

 第16回遣唐使に随行した弘法大師空海は、恵果阿闇梨から真言密教を学んで帰国し、高野山に金剛峰寺を建立、真言宗を確立した。漢字の草書体を利用して、平仮名を作ったと言われ、日本の三筆と尊称されている。

 唐の高宗顕慶3年(658)から唐の宣宗大中3年(849)間に、日本から遣唐使が19回、長安に派遣されている。

 空海に因縁のある四国四県と日本の真言宗の門徒衆は、中国仏教教会及び西安市政府の協力の下に空海記念碑が1982年建立された。

 恵果、空海両師の説法像がある記念堂も、1984年に建てられた。.

 

 

陝西歴史博物館は西安最大の規模を持ち、地方史展示室、青銅器、陶俑像特別展示室と臨時展示室の三大部分が主体になっている。

地方史展示室には、中国古代史(旧石器原始社会・約115万年前)から中国近代史(1840年・アヘン戦争)まで、時代の順序により、系統的に展示されている。

臨時展示室には唐代皇帝の一族郎党の陵墓から出土した壁画実物と唐太宗皇帝の昭陵域内の出土品が展示されている。

これらの精選した展示品は古代の文化、芸術の精華であり、5千年歴史を彷彿させられた。 

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   気候と服装

 冬は11月11日〜3月20日、平均気温4,5度。霧に覆われ、日本のおぼろ月のような太陽が出れば晴れというのだがすっきりしない。雨は少なく、2,3回の雪も降るという。訪れた12月の末はとにかく寒く、東京では着たことも無い完全武装で望んで正解というところだった。

  時差 日本との時差は1時間

  トイレ

 中国語では厠所または洗手間といい、高級ホテル以外はトイレットペーパーは無く、水も流れない。

 外出中は、トイレットペーパー、濡れナプキンと清潔さと関係なく現地の1角〜1元の硬貨を必ず携帯したい。

  通貨の両替

 地元の物を買うときとトイレの使用料に硬貨が欲しい。1元=約13円  1元=10角

 地元の商店以外では日本円が通用する。

 西安国際空港では、円、$、人民元のみ通用で、クレジットカードは使用できない。

 

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