咸陽市博物館


 咸陽市博物館は明代の孔子廟を利用したもので、秦代と前漢時代の文物を展示。

 漢の高祖劉邦の陪塚の出土品を展示した「楊家湾漢墓兵馬俑陳列館」には「三千人馬」と言われ高さ50cm前後の彩色された兵馬俑が見もの。

 

3. 西郊外/近郊

 

 

 

 

 


茂陵


 茂陵は前漢時代の第5代皇帝・武帝劉徹の陵墓。(西暦前157年〜87年、在位54年間)

 前漢王朝214年の11名の皇帝中、9人が咸陽原に埋葬されている。茂陵の地下宮殿には、様々な貴重品が副葬品として埋葬されていた。

 武帝は優れた才能と遠大な計画をを持つ有能な政治家、軍略家でもあった。

 シルクロードの開拓、汗血馬導入、「漢字」の語があることからも、高度な文明を持つ強国として、海外に鳴り響いていたという。

 

 


乾陵


乾陵は唐代の第3代高宗皇帝(628〜683年)とその皇后武則天(624〜705年)との合葬墓である。中国歴史上、夫婦が皇帝で、共に葬った例は乾陵しかない。

唐代皇帝陵の中で代表的な大型陵墓で、最も保存状態が良い。

 長さ500mの神道両側に華表(石柱)や1対の翼馬と駝鳥(朱雀)、5対の石馬、10対の武人、首の無い61王賓像、石獅子などの石像や無字碑、述聖紀碑が立ち並んでいる。梁山からの眺望も素晴らしい。

 シルクロード沿いの諸国家の王や使節の首の無い61体の石像は、帯び揚げをし、長靴を穿き、少数民族の服装をしている。もとは背中にそれぞれ官名、国名、姓名などが刻まれていたが、1300余年の風雪で、摩滅してしまったという。

 

 


 法門寺


 法門時

 後漢の桓帝と霊帝の時代(147〜189)建立された。境内に塔があり、法門時はこの塔で名高い。

 法門寺塔は最初4層の木造であったが、潰れたため明の神宗が、13層の煉瓦造りの塔に建て替えた。(1579)塔身は高さ54mで、塔の2層から12層まで各層に、8仏壇と、その中にそれぞれ銅製の仏像と菩薩像1体乃至3体安置されている。これらの仏像の奉納者は、主に明の官僚だという。

 清代の順治年間(1644〜1661)地震のため塔が傾き中に亀裂が生じた。1981年塔身の側面半分が倒れ、1987年修復中に地下に地宮を発見した。地宮後室で佛の指の舎利を発見した。

 法門時の出土品は法門寺博物館に保存している。

 

 

買い物

店員のアドバイスを受けながら、幾つかの急須を見せて貰いました。龍が着いているのにしょうか、無印にのにしようかと散々迷った末2千円で急須を買いました。

 

 

帰宅して急須を洗うと なんと、なんと、オヨヨ!龍がはがれてしまいました。びっくりしました!驚きました!はがれた龍はシールだったのです。こんなことって許せますか。

 

 

西安と中国の印象

 西安とその郊外には、手のつけていない遺跡がまだまだ数多くあるという。遠い昔に文明が、印度から西安へ、海を越えて日本へとわたった。それゆえか他国の文明よりも、すんなりと懐かしみの心で対峙できた。勿論中国の広さと奥深さには圧倒されたのも事実です。

 13億に近い人口をかかえ、1人子政策を人々が認容せざるを得ず、違反した2人目、3人目は戸籍が無いという。戸籍の無い子は、義務教育も受けられず、ぶらぶらしている。どうして生きていくのだろうか。

 死んだら火葬にする法律ができたが、北京から遠い地方ではやはり今も土葬にするところが多い.。墓地販売のビジネスが最近出できたので、これはおいおい解決の道は開けるだろうが、国の広さは想像に絶するものがある。

  日本では買い物や生活するにしても、外国人との区別は見られないが、中国では二重価格である。それなら外国人観光客サービスに、せめて観光地のワーストトイレをなんとかして欲しいものだ。オリンピックの誘致にも条件が良くなるのではと余計なことを思うのである。

 

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