「東洋のモナリザ」

  バンテアイ・スレイ「女の砦」という名の寺院。女神の視線が語りかけてくるよう。繊細な彫刻は、アンコール随一。10世紀後半に建立された。


 

 プリア・カーン「聖なる剣」寺院。チャンバ軍を阻止できなかったが、父王の菩提寺としてジャヤヴァルマン7世が建てた。王はヒンドゥ教と仏教の融和を願ったが、後の宗教闘争でヒンドゥ教徒が佛教的な部分を破壊してしまった。中央祠堂の北東に建つ建造物は、非常に珍しい二層構造になっている。

 

3. アンコール遺跡群

 

 

 

 

 


ニャック・ポアン

 「からみ合う蛇(ナーガ)」の意味がある。東西バライ上に浮かぶ両メボン寺院と同じ性格を持った、治水に対する信仰と技術を象徴する寺院である。


 

 西バライ(西メボン)は、東西8K、南北2Kの大貯水池。西メボンには回廊が、部分的に残っている。

 

 


タ・プロム

 ここは発見当時の姿まま残されている。巨大に成長したスポアン(ガジュマル)に、圧し潰されながらも、辛うじて寺院の体裁を、保っている。


 スラ・スランは「王の沐浴のための池」。今では子供たちが水浴びをしている。水量がへる乾季は、水草取りをする。年に一度全ての貯水池で水草取りの掃除をするという。

 

 


 バンテアイ・クディ

 「僧房の砦」寺院全体の構造は、バイヨン様式に共通している。アンコール遺跡国際調査団が、調査研究の対象にしている遺跡である。
 

 

 ロリュオス遺跡群のロレイは、インドラタターカの中心に建立されている。寺院の脇には果樹園があり、南国のフルーツがたわわに実っていました。初めてバナナの花を見ることができました。

 

 

 

 「聖なる牛」という意味を持つ、プリア・コーはアンコール遺跡中で、最古の寺院である。インドラヴァルマン1世が、王の両親に捧げた寺。 

 バコン寺院は伽藍周囲に環濠を巡らした、最初のピラミット式寺院として知られている。やがてアンコール・ワットで完成を見ることになる。

 頂上から見ると、四方に広がるジャングル、苔に覆われたバコン遺跡が見渡せる。

 ここへの道のりは、凸凹道をバスで数時間走る。アンコール遺跡廻りコースでは、日本で案じた地雷の心配は一度も無かった。

 

 

カンボジアの印象

 砂埃の立つ道路の小屋の店頭に、薄汚れたペットポトルが並んでいる。粗悪なガソリンだという。

 走っているバイクは3人〜5人が乗っている。車は5人乗りに8人以上乗せている。

 バンパーの無い車が殆どで、税金を払っていない車である。政府、公務員の車が圧倒的に多い。

  社会経済体制の急激な転換は、行政機構内の人材不足等が影響して、円滑に行政が運営されず、一部の政府高官に富が集中する現象が起きた。

 兵士や公務員の給料遅配は慢性化し、外国企業で働く者との賃金の格差は拡大した。

 このため、公務員の副業は常態化し、省庁の末端組織の行政機能の低下は著しい。一部政府高官による汚職も公務員の労働意欲を減退させている。

 公務員の給料は月額20〜30$、他企業では 500$以上だという。

 ガイドの青年に尋ねたら、収入は300$で高収入だが、季節によって変動するので、他国へ働きに出るという。カンボジアの結婚事情(莫大な結婚費用は男性持)も絡んでいるとのこと。

 他方、カンボジアの大半が住む地方は、貧しい。着衣のない赤ん坊を、年のいかない兄弟が、抱いたり、負うたりしていた。

 アンコール遺跡では、近年、みやげ物売りや物乞いの入場が制限されているようだが、それでもしつこくついてくる。バコンでは、大勢の子供たちがついてきて、強引にココナッツの葉で作った指輪を、はめようとする。指輪をはめると1$請求する。

 お金をあげるのは日本人位だという。かわいそうだと思うが、この行為が、商売として成り立つと考え違いをしてしまう方が、将来もっと可哀想だど思う。         

 現カンボジアでは、田舎に住む子供の40%が、学校にいっていないという。貧しかった日本の50年前を思い、1日も早くカンボジアの、子供たちにも、豊かな日々が、おとずれますように、そしてあの感動をあたえてくれた遺跡が、永遠に無事でありますように、祈らずにはいられなかった。

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