|
|||||||||
多くの人々が訪れる、世界遺産の敦煌莫高窟から西へ約50kmの砂漠の中にある断崖で、進められているのが、「現代石窟プロジェクト」 です。 敦煌芸術を保護し、修復・研究・模写し、営々と守り抜いてきた人々の存在については、あまり知られていません。 1994年7月、真夏の夜、莫高窟に命を捧げた人々が眠る、かたわらに流れ星を見た。 それはおそらく、1994年6月23日身まかった、当代一の学者、常書鴻の魂が星となって、はるか遠い北京から、敦煌に飛んで帰ったのだと。 常書鴻が遣り残したこと、それは敦煌壁画に等級をつけること。これは政府が次の世代にまかせるようにと、年老いた書鴻を労わった。 もう一つの念願は、新しい石窟を造り、略奪された壁画を取り戻し、展示すること。また、現代石窟を使い、現代の画家たちに、新しい創作天地を与えることであった。 (敬称略) . |
現代石窟見取り図 (2003.8月現在) |
||||||||
「現代石窟プロジェクト」 常書鴻が亡くなった時、600年もの間途絶えていた、石窟芸術を蘇らせるという、故常書鴻の意思をついで、李承仙と息子の常嘉煌は現代石窟を創り始めた。 現代のいまも、新しい石窟壁画を創造し、石窟を造り続けている人々がいることは、殆ど紹介されたことがありません。 気宇壮大なこの事業は、「現代石窟プロジェクト」と名付けられ、現在、様々な困難を克服しながら、進行中です。 この天井壁画は、中国芸術大学の学生たちが描きました。その中の一人阿宝と常嘉煌を写しました。 (敬称略)
|
|||||||||
さて常書鴻の次男常嘉煌は、西北師芫大学油絵系で学び、1984年、常書鴻が旅立った時は、日本で絵を学んでいた。 敦煌出身の画家、常嘉煌と李承仙を中心に、10年程前から、石窟を掘り、その中で現代版の仏教壁画を描いている。 「現代石窟プロジェクト」はさまざまな困難を乗り越えながら、現在第7号窟まで、手掘りで掘削作業が進んでいます。 中国の画家たちが、壁画を描く為に、寝泊りするベットなども作られていた。 (敬称略) . |
|||||||||
1947年の初秋は、常書鴻にとって一生忘れがたいものとなった。妻を娶った。もの静かで美しい才女の名は李承仙 という。 彼女は四川省立芸術専科学校の助手だった。父の李宏恵は、孫中山同盟会の実力者だった。 伯父の李瑞清は、張大千が上海で書画を学んだ時の先生である。 張大千は、当時なかなか手に入らなかった「敦煌画の研究」(日本の松本栄一著)に資料となる書き込みを入れ、李承仙を通じて常書鴻に届けさせた。 8月15日このカップルは、極、質素な結婚式をあげた。そして共に助け合って、困難を切り抜け、手を携えて半世紀を過ごした。 李承仙は常書鴻の夢に向おうとした時、膵臓癌にかかり、余命8ケ月の宣告を受けながらも、現代窟で壁画を描いた。 そして北京の病院で、昨年の’03年8月28日亡くなりました。 党葬の名誉にあずかって、静かに常書鴻のもとへ旅立った。 (敬称略) |
|||||||||
日本画家でもある秋元了典氏が、「現代石窟プロジェクト」に知ったのは、平成10年。 浅草寺の京戸慈光勧学所長の勧めで、初めて現地を訪問。 「現代の石窟を手掘りで創る」という計画の壮大さに感動したと、常嘉煌にその場で協力を申し出た。 秋元氏は自費で年に数回、現地を訪れ、担当している3号窟「中日浄土窟」も2008年の完成を目指し、沢山の人々の協力を得ながら、創作活動を続けている。
. |
|||||||||
秋元氏は浅草のギャラリーで個展を開いて、曼荼羅図の下図など、活動の一部を紹介したりしている。 またプロジェクトを多くの日本人にも知ってもらおうと、パネルやビデオでも現地の活動を紹介している。 壁面に描く予定の「中将姫連華化生図」(高さ約1.8m幅3m)の下図も展示した。 秋元氏が描いた花鳥画や仏画なども販売して、その収益もプロジェクトの費用に当てられるという。
|