4. アスワン   

 
   
 

 


フィラエ島のイシス神殿

 アスワン・ダム近くのポート乗り場から、モターボートでフィラエ島のイシス神殿へ向う。

 古代エジプトでは聖なる島とされ、冥府の神オシリス神の島であり、妻であるイシス神が、ホルス神を生んだ島でもあった。

 嵐と暴力の神、セトに夫を殺され、ホルス神と共に復習を遂げたという伝説がある。神殿内は細かいレリーフで覆われているが、キリスト教徒による破壊の跡が多く目につく。

 この神殿はローマ時代に造られたもの。またハトホル神殿や教会の遺跡もあり、コプト十字が残っている。

 この美しい神殿群もアスワン・ハイダムが出来てから、水没の運命にあったが、隣のアギルキア島へ移転され、1980年に完了した。

 

 

 

 


ナイル西岸をラクダに乗って散歩
 

 エジプトは国土の大半が砂漠地帯だ。ナイル川流域を境に、西側をリビア砂漠、東方をアラビア砂漠、シナイ半島の殆どが、シナイ砂漠だ。

 エジプトの砂漠は、「砂砂漠」は少なく、小さな石がごろごろした「礫砂漠」、岩山が連なる「岩砂漠」(シナイ山)などが多い。

 砂漠のタクシー、ラクダに乗って、ナイル川西岸を、暫時、散策する体験をした。エジプトのラクダは、ひとこぶラクダで、持ち手が丸く大きいので掴み難い。

 しかしラクダは足が長くて、見た目には格好がいい。

 遊んでいる中に、このあたりの歴史を探索してみよう!

 ルクソールから南に200kmのアスワンの町は、ナイル川の東岸に位置する。かつては、このあたり南1000kmにかけての広大な地域を、ヌーバ族という黒人(ヌビア人)が支配していた。

 アスワンの西にあるナイル中央部に、エレファンティネ島がある。この島には、先王朝時代から、人々が住み着いていた。

 古代エジプト時代には、ヌビアとの交易の拠点、前線基地として、重要な島だった。

 クヌム神やその娘アヌキス女神、ナイル川の神ハピ信仰の中心であった。

 グレコローマン時代になっても、国の最南端にあった為、キリスト教の伝来は遅かった。

 5世紀までフィラエ島のイシス神信仰が中心。同様にイスラム時代にも、12世紀になるまでは、改宗は進まなかった。

 

 


エレファンティネ島のナイロメーター
 

  古代の神殿跡にて、ナイロメーターを見学。「エジプトはナイルの贈り物」という言葉があるが、この言葉と、ナイロメーターには、深い結びつきがある。

 古代から近代までナイル川は、年に1回氾濫し、その際に川の上流から、養分を含んだ肥沃な泥が流れ、あふれ出た水と共に、川岸を越え、流域の農地を覆ったという。

 この泥がナイル流域での、高い農業生産を支え、結果、エジプトの繁栄を支えた。

 この川の氾濫の際に、その水位を計るのが、ナイロメーターで、その数値によって、王は税金を決めた。

 ダムが出来てからは、安定した電力の確保は、可能になったが、氾濫によって維持された、生態系のサイクルが狂い、大きな社会問題になってしまった。

 

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ヌビア人のお宅を訪問して
 

 ヌビア地方は、エジプト国内を流れるナイル川の上流、最南の地で、背後にアスワン・ハイダムやアブ・シンベル神殿がある。

 ヌビア地方の中心地、アスワンは、ゆったりと流れるナイル川の、美しさを満喫できる場所でもある。

 家々の壁にはハッジ(巡礼)の絵やヌビアの絵が描かれている。

 ヌビア人の家の構造も、古代から変わっていない。また玄関先に、魔よけのワニの剥製が飾られ、時には生きているワニが水槽に飼われていたりしてびっくりする。

 ヘンナと呼ばれる、天然染料で、タトゥーを施しくれる。デザインはヌビア風のきれいな幾何学紋様。3週間ほど持続する。

 色黒で、ちじれた髪を持つヌビア人は、個人差はあるものの、一般的に、温厚で物静かな人達だ。積極的で、社交的なエジプト人とは、随分違った、おっとりとした一面を持っている。


帆掛船ファルーカに乗ってセーリング

 ヌビアは、古代エジプト末期王朝100年間を除いて、殆ど、エジプトの属国として、支配されてきた。

 ヌビア人は独特の言語、文化を持ち続けているが文字は無い。現在では、彼らも小学校から、アラビア語教育を受けている。

 20m位の白い帆を掛けたファルーカで、青い水の上をすべるように、悠々と進む。帆の操作をしているのは、13歳のアルバイトの子供だ。

 船頭のヌメリさん、サダムさん、大きな柱のような(材木の)太いオールを漕いで、船の向きをかえる。

 タンバリンのような形の、ヌビアの平たい太鼓を、手の平で打ちながら、サダムさんが歌と踊りを披露する。日本の盆踊りに似ているので、みんな輪になって、ヌビアの踊りをおどったりしながら、1時間程の船遊びに興じた。

 昔の国王の宮殿、コプト寺院なども望めた。

 

 


コム・オンボ神殿

 この辺の治安状況に、エジプト政府は神経質になり、警察隊の護衛を受けて、バスはアスワンを出発。ナイル川沿いを下流に向って進む。

 コム・オンボは、ルクソールの南167km、アスワンの北46kmの、ナイル川の東岸にあり、このあたり一帯の農業と工業の中心地として栄えている。

 コム・オンボとは、アラビア語でオリンポスの丘という意味。かつてはオリンポスと呼ばれていた。町の南西約2km、ナイル川に突出した、丘の頂上に、コム・オンボ神殿が建っている。

 普通の神殿は、建物の中央に通路が1本あるが、ここは、左右に1本ずつある。塔門、部屋の入口も2つずつあり、至聖所も南北2つに分かれている。つまり、二重構造になっている。

 ソベク神(ワニの頭)と、ホルス神に捧げられた神殿を見学。プトレマイオス朝に建設された、神殿の細部を注意深く観察すると、3000年前の、塗料が残っていた。

 知の神トト神(トキの頭)や、時の王プトレマイオス、ソベク神のレリーフ、古代エジプトのカレンダーや、医療器具のレリーフ等、はっきりと認識できた。

 クレオパトラの浴槽、大型のナイロメーター、ワニのミイラ等かなり珍しいものも見ました。

 

 


ホルス神殿

 ホルス神殿の、塔門の前には誕生殿があり、ホルス神の誕生や、母ハトホル神の乳を飲んでいるホルス神レリーフがある。

 ホルス神殿は、オシリス神とイシス神の息子、ホルス神を(鷹の頭)を祀った神殿。

 パピルスをあしらった、巨大な柱の残る大列柱廊、小列柱廊を抜けると、かって黄金の神像が、置かれていた至聖所がある。

 至聖所手前の前室の天井は、黒くすすけている。後のキリスト教徒が、台所として使用したためだという。

 その他香水を造るレリーフや、王族の子供達の勉強部屋等も見学した。

 至聖所の外に出ると、ホルスしんとオシリス神対邪神セト(カバの姿)の戦いを、描いたレリーフがあった。

 


ホルス神殿の前に立つホルス神像

 エドフは、ルクソールから、南に108km下がったところにある人口2万の小さな町。町は、ナイル川の両岸にまたがり、西岸の方が賑い、ここにホルス神殿がある。

 グレコローマン時代には、上エジプトの州都として栄え、アポリノポリス・マグナと呼ばれていた。

 ホルス神殿は、エジプトの数ある遺跡のなかでも、最も保存状態の良い大きな遺跡だ。

 チケット売り場のある遺跡入口から中に入ると、広い広場の向こうに、どっしりとした巨大な外壁が見える。神殿内部の入口はこの裏側にある。

 

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