ペルセポリス

イラン


ペルセポリスの遺跡

 ペルセポリスは「ペルシャ人の都」というギリシャ語が語源である。この遺跡はユネスコの世界遺産にも登録されている。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡と共に「中東の3P」と呼ばれている。

 紀元前512年頃、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が建築に着手し、その子クセルクセス1世が完成した。総面積約12万5千平方km。

 当時の行政上の首都はシューシュだったが、宗教的な都としてマルヴダシュト平原のラフマト山(慈悲の山)の麓に、ラフマト山の石材で築かれた。

 緻密なレリーフなどからも、西はエジプト、東はインドまで勢力を奮ったという、王朝の勢力が窺がえる。

 紀元前331年にアレクサンダーにより陥落。ある夜、百柱の間から出火し、宮殿は廃墟と化してしまう。  

  
ナクシュ・ロスタム遺跡

  ペルセポリスから約6Km北西の岩山に、アケメネス朝の王墓がある。向かって左からアルタクセル1世、クセルクセス1世、ダレイオス1世、ダレイオス2世と4つ並んでいる。

 墓はペルセポリスのアルタクセルクセス2世と同じ様式。

 上部は「玉座かつぎ」とゾロアスター教の最高神「アフラ・マズダ」のレリーフが鮮やかに残る。墓の下部の断崖は、「馬上の騎士」が描かれている。

 アルタクセルクセスの墓の向かいに石造の建物がある。ゾロアスター教神殿として、聖火を祀っていたといわれている。

 その他ゾロアスター教の高位の司祭が、聖典を所蔵していた場所、王の鳥葬の亡骸を一時安置する場所、ダイオレス1世以前の王族の墓・・・・・など諸説さまざまである。

  
パサルガダエの遺跡

 パサルガダエとは「ペルシャ」の本営」と言う意味。

 紀元前8世紀頃、イラン高原を支配したイラン系メディア王国の支配下に、イラン高原南部のファールス地方にペルシャ人と称せられた人々がいた。このイラン系ペルシャの王家、アケメネス家のキュロスが前550年にメディアを破り、 アケメネス朝ペルシャ帝国を開き、パサルガダエを最初の首都とした。

 キュロス大王は、エジプトを除くオリエントを支配する世界帝国を築いた。

 キュロス大王は傑出した指導者であり、有能な戦術家であったが、また彼ほど、高潔な名声を後世に残した国王はいない。

 メディア軍を破ったここ、パサルガダエに王宮を建て、今は王宮跡が昔を偲ばせてくれる。

 上部写真のピラミット型に石壇を積み上げたキュロス2世の墓は、比較的保存の良い状態で遺されている。

 

 
 

ペルシャ式トイレ

 

 ペルシャ式のトイレは言わば、和式のしゃがみこみ型だが、トイレットペーパーは無い。そばに水道があり、水道口に長めのジャバラのホースがついていて、ホースの先は留め金にかけてある。用をすませたら、ジャバラからの水が、ウオシュレットとなるので、不快感は全く感じない。そこまでは見習いたいところだが、やはり長年培った悪癖は抜けず、ペーパーを持ち歩き、ウオシュレットの水を、使用済のペーパーを流すのにも使いました。そんなわけで水をたくさん使うので、その辺りいったいがびしゃびしゃになってしまうので、ズポンやスカートの裾の汚れにはご注意を!

 地方の一部ではジャバラがなく、水道口の下には容器が、おいてあり、その水は紙を流すのに使いました。もしかしたら、容器の水をつかって左手で始末するのかな?そんな思いがちらっと頭をかすめました。

 大丈夫ですよ・・・ホテルは。ちゃんと国際派です。だって枕銭は2人で1ドル、現地貨幣なら1人4000リアルなんですよ。

 トイレは、WCとかToiletとか表示してありました。勿論アラビア文字と仲良く並んでいました。アラビア文字は読めないので、トイレと判読しました。

 

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