ボスラ ハージュ=巡礼
今でこそ、人口数千人にしか満たない小さな村といった風情のボスラだが、アレキサンダー大王の制服により、BC1世紀に、ナバタイ帝国の北の都となった。この時の南の都は、かのペトラだ。 ボスラとペトラの都市は、似たような運命を辿ることになる。 その後両都市は、106年にトラヤナス帝時代のローマ帝国の属州となり、ボスラは州都として、繁栄を極めた。 当時、ボスラはメッカへの巡礼のルートであった。
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5.ボスラ
ヨルダンとの国境の町、ダラーから東へ約40kmにボスラの町がある。 この地方は、かって火山帯だった為、黒色の玄武岩が多くとれ、それを使って神殿や住居を建てた為 に、遺跡や町が黒づんで見える。
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ナバテア門、王の娘の塔、ローマ浴場、ウマールモスク、スーク(市場)、記念門とこの町の数奇な運命を物語る各時代の遺跡が建ち並んでいる。
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シタデルと呼ばれる城砦を出ると、2000年の歴史を持つ、ローマ劇場がある。 規模は中東でも最大級のもの。 現在も使用され、音響効果の素晴らしさは、各国の有名な音楽家や歌手によって、証明されている。 . |
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シリアの情報
国境の町、ダラーを中心として、シリア南部は小さな町が多く、独特の文化圏をもち、民族意識が高い。 シリア人でローマ帝国の王となった、フィリップス・アラブの生まれ故郷の土地で、王を称える祭殿や見事なモザイクが、沢山残っている。 南西部のゴラン高原は’99年10月にイスラエルに占領されている為、シリアからは入れない。
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