ペトラ


 
シーク(アラビア語で狭い通路)

 BC13世紀エドム人、BC6世紀アラビア半島から来た、遊牧民のナバタイ人やベトウィンが移住し、都市を築く。BC3世紀に最盛期を迎えた。
 

 岩をくりぬいて建物群を造った。BC106年ローマが占領。

 その後シリアのパルミラなどの建設によって衰退した。

 

8.ペトラ

 

 中東の3P

         ヨルダンのペトラ

         シリアのパルミラ

         イランのペルセポリス

 

 

 

 


エル・ハズネ

 頭上に迫る高い崖の暗く細いシークを抜けると、突然視界が開け、エル・ハズネと呼ばれる宝物殿があらわれる。

 崖を削り、掘りぬいた神殿風正面を持つ、高さ30mの霊廟。BC1世紀頃。
 

  映画「インディ・ジョーンズの最後の聖戦」の舞台にもなった。

 このエル・ハズネは微妙な光の違いによって、1日に50色もの薔薇色をみせる美しい建物だ。

 

 


 ローマ劇場

 2世紀〜3世紀のもので、3,4千人収容。

  ナバティア人の後に、このペトラを治めたローマ人が造った劇場や、列柱が残されている。

 

 アウターシーク

 岩肌に多くのくりぬいた建物がが見える。アウタシークと呼ばれ、墓跡ではないかと言われている。

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壷型墳墓

  アウターシーク右手に500もの墓があり、そのうち、後世がが名付けたものに、壷型墳墓がある。ビザンチン時代に教会として、使われていた。

 
宮殿墳墓

 3階建てで、2階までは、岩を掘りぬいてある。

 

  

 

シルク墳墓

 入り口の模様が美しい。コリント式の墳墓などまさに王宮墳墓群の壮大さに、驚くばかりである。

 

   
 

 

エドディル

 列柱道路、フォーラムを通って、400段の石段を登りつめると、高さ45m、幅50mのペトラ最大の建物、エドディルがある。

 1世紀中頃にたてられた、ナバティア人の神殿の跡だ。

 正面の広場に面した壁の、十字の印のために、「エドディル」(修道院)と呼ばれている。

 最奥部まで、訪れてペトラの真髄に触れた感動は言葉に表せず、只々胸一杯に溢れた。

 ペトラは山なので天気が急変する。雨具や厚手の上着をもっていこう。そして靴もあるきやすいものを選びたい。

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