ブカレスト


 
革命広場の旧共産党本部

 テレビの映像を通じて全世界に報じられた’89年民主革命の銃撃戦の舞台となった石畳の大きな広場を取り囲むように、共和国宮殿、旧ルーマニア共産党本部、大学図書館、アテネ音楽堂が建っている。   
 

  旧共産党本部は革命広場にそびえる白くて立派な造りの巨大な建物。’

 89年12月22日に、故チャウシェスク大統領は、この建物のテラスで最後の演説を行いブーイングに遮られ、その直後、屋上からヘリコプターで逃亡した。

 建物の前には革命犠牲者の慰霊碑がある。

1.ブカレスト

    

         

      ルーマニアの国旗

  ルーマニアの首都 ブカレストはカルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置する。人口は、約233万人。  

 20世紀初頭、「バルカンの小パリ」といわれるほど、美しい町並みを誇っていた。

 現在その面影をかろうじてとどめているのは、旧市街の一部と凱旋門に続く通り沿いのみ。

 古い教会や歴史的な建築物は、共産党の手によって破壊された。その為この町には歴史的な見所が、驚く程少ない。 

         

 

 

 

 

 

 


クレッレクス教会

 革命広場に立つ18世紀建造の、ルーマニア正教の教会。

 入り口のポーチの天井には、善と悪を裁く神の姿を描いた18世紀のフレスコ画がある。

 

 


 国民の館

 1984年〜89年にかけて建てた。アメリカのペンタゴンに次ぐ大きな建物。

 チヤウシェスクの私邸と共産党本部の為のもので、会議室や劇場予定の間、奥様の為のダンスホールなどなど3千もの部屋がある。  

 現在は各政党のオフイスが入居するほか、国際会議やコンサートにも使われている。

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統一大通り

 国民の館を起点として約4km.にわたってブカレストの町を走り抜ける大通り。
 チヤウシェスクはパリのシャンゼリゼ通りと同じにしようとしたが、6m.幅が広くなってしまった。

 石像をあしらった噴水が等間隔で設置されている。

 この界隈はブカレストでも最も古い旧市街。大通りを建設する為に、沢山の史跡や建物が壊され、町並みが塗り替えられた。

 

 


凱旋門

 1919年第一次世界大戦の勝利を記念して建てた。

 凱旋門の立つロータリーからは、菩提樹やマロニエの並木道が続いている。

 繁華街から離れているので、華やかな賑わいは見られない。

 

 

 


大主教教会

 統一広場わきの小高い丘にある、3っのドームが目印の、ギリシャ正教の教会。

 1650年代にワラキア公の館内に建てられたもので、20世紀になってから大主教教会として認められた。

 教会内には、聖人ディミトリチ・バサラボフのミイラが聖体として祭られている。

 

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