ブラショフ
町の中心、スファトウルイ広場に立つ1420建立の旧市庁舎。 高さ約60m.の見張塔には、何か特別なことがあった場合に住民へ知らせる為の鐘がついている。 内部はブラショフとトランシルヴァニアの彫刻、美術、工芸品、歴史資料などを展示している。 |
3.ブラショフ
ルーマニアの国旗 ルーマニア第2の都市ブラショフは中世の町並みを残した美しい古都である。 ルーマニアの中央を”つ”の字型に走るカルパチア山脈(200m級の山々が緩やかに連なる)に北、東、南の三方を囲まれた地方がトランシルヴァニアだ。 マジャール(ハンガリー)、ザクセン(ドイツ)セーケイ人との民族構成とその共存の歴史を持つ。 1989年の民主革命の口火を切ったのもハンガリー人への抑圧が強まったことに端を発していた。 ルーマニア全体の歴史を理解する上でも重要な地域である。
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町の中心にそびえ立つ高さ約65mのトランシルヴァニア最大の後期ゴシック教会。 1385~1477年にかけて建てられたルター派の教会。ミサはドイツ語。 この地で最初にドイツ語でミサをしたヨハネス・ホンタロスの像が教会横に建っている。 教会内には、1839年製の400本のパイプと4つの鍵盤を備えたルーマニア最大のパイプオルガンがあるというが、中には入れませんでした。 1689年はハプスブルグ軍の攻撃で外壁が黒こげになったことからこの名がついた。
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ルーマニア人地区のスケイに建てられたルーマニア正教の教会。 隣にはルーマニア語で初めて教育が行われたルーマニア最古の学校がある。1760年の建造。 現在は博物館で、当時の教室、印刷機、本などを展示。 ルーマニア語で書かれた地理の教科書には、日本の紹介が6頁ありました。 . |
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1377年、ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに進入するトルコ軍をいち早く発見する為に築いたという。 14世紀末、ワラキア公ヴラド1世がここを居城とした。ドラキュラのモデル、ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)の祖父にあたるモデルになった彼はここに住んだことはなかった。 城の中には王の執務室など沢山の部屋がある。 1920年にブラショフ市は、フェルディナンドェ&王妃マリーに寄贈。 彼らが居住用に改築。更に1924年からはルーマニア王室の夏の離宮として使用された。当時の調度品も展示されている。
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17世紀ワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された僧院。 この町の名前の由来にもなっている。 門を入って正面の新しい建物は、19世紀にドイツから招かれて、ルーマニア王国の皇帝になったカロル1世が建てたもの。 左手の古い建物は17世紀末にカンタクジノの跡を継いだブルンコヴェヌ公がポーチを増築した以外当時のまま保存されている。 壁のフレスコ画も見事でした。
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1875年カロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として、8年かけて建てた宮殿。 ルネッサンス、バロック、ロココの格様式を取り入れたドイツ・ルネッサンス建築の壮麗な建物。 いくつもの彫刻、噴水、バラが配された庭園からは、シナイアの渓谷が一望できる。 宮殿内の部屋数は160あるという。各部屋にはカロル1世の集めた絵画、彫刻などの美術品、陶磁器、金銀、宝飾品や中世の武器などが飾られている。 セントラルヒーテイングの設備もある。
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