ヴェリコ・タルノボ


 
ブルガリア建国1300年記念碑

 第一次ブルガリア帝国時代に築かれた要塞の東に1981年に建設された。   
 

  ペタル、アセン、カロヤン、イヴァンセン2世の像。                         

 

.ヴェリコ・タルノボ

    

         

      ブルガリアの国旗

  ヴェリコ・タルノボはブルガリアが文化的にも興隆した第二次ブルガリア帝国時代(12〜14世紀)の首都であった。  

 ブルガリアの東西のほぼ中央、バルカン山脈の東側に位置している。

  町の中を屈折して流れる水量豊かなヤントラ川や間近に迫る断崖、旧市街が広がる勾配の急な丘陵地などが、ダイナミックな風景を織り成している。

 

 

 

 


ツアラベツの丘

 旧市街のメインストリートを歩いて登っていくと、頂上に教会の建つ丘が見えてくる。ツアラベツの丘だ。  

 第二次ブルガリア帝国時代には、この丘全体が宮殿だった。  

 オスマン・トルコの猛攻により、すべて瓦礫の山となった。          

 そして13世紀にはバルカンのほば全域を制圧し、ヨーロッパ全土でも最も進歩し、栄えていたこの国が、オスマン・トルコに征服された。

 500年わたるオスマン・トルコの支配下で、他の先進ヨーロッパに文化全般に数世紀の遅れをとる結果となった。

 頂上の教会は大主教教会。内装の壁画はブルガリア現代絵画の巨匠たちの手によるものだが、硬直した筆遣いで、社会主義があらゆるところに影響を持っていたことがわかる。

 

 


 アルバナシ風景

  ヴェリコ・タルノボの近郊には、古都と共に歴史を刻んできた村がいくつもある。どの村にも古い教会があり、時間が止まったようにのんびりとしている。              

 アルバナシもそんな村のひとつ。ヴェリコ・タルノボから北へわずかに4km.。ニコラ・ピコロ通りまで来れば旧市街からも遠くの崖のうえにその姿が見える。           

 アルバナシで最も古いイエス生誕教会は、オスマン・トルコの攻撃を避ける為、外見は家か倉庫のよう。      

 半ドーム状の内部は、絢爛たるイコン、壁画で埋め尽くされている16世紀〜17世紀にかけて建 の宗教画、「運命の車輪」「イエスの木」などが美しい。              

 7歳から12歳位の夏休みの子供たちに出会った。明るく元気な彼らは、盛んに国や名前や年を聞いてくる。  

  彼らも第2外国語の英語は私とどっこいどっこいなので、そこで楽しい会話がはずみ、写真を撮っても良いかと聞くとOK気を付けのポーズをしてくれる子もいました。

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コンスタンツアリエフ・ハウス

 アルバナシ村も特徴的な石垣がどこまでも続く。
 ここで最も美しいといわれる、オスマン・トルコ帝国ヴェリコ・タルノボ総督の親戚に当たる女性の旧家。       

 17世紀の貿易商が娘一家の為に建てたこの家は外敵の進入を防ぐため、鉄で補強した扉、窓は鉄格子で防備をしていた。                  

 2階のリビングルームはトルコ風のソファにブルガリア伝統の織物が掛けられた広い部屋。

 街で最初の室内トイレ(トルコ式)もあった。

 

 

カザンラク(バラの谷の中心地)

 バルカン山脈とスレドナ・ゴナ山脈にはさまれた一帯は「バラの谷」と呼ばれている。         

 そのロマンチックナ名称に惑わされ、谷一面にバラが咲き乱れる光景を想像してこの地を訪れた。

  バラの谷とは、この地方が香油用のバラの生育に適していることを意味するもので、バラ畑は広大な谷の各地に点在し、バラも観賞用のそれとは比較にならない地味な花だという。

 夜明け前、開花すると同時に摘み取られたバラ畑で、肩すかしを食らったのでした。 香油1ℓ作るのに3,5tの花を要するというから驚きだ。             

 カザンラクとはバラを加工する時に使う「銅の釜」を意味し、バラの谷で一番大きな町、バラ産業の中心地でもある。ヨーロッパの香料の80%を輸出するという。              

 毎年6月のはじめ開催されるバラ祭りは観光用だけでなく、子供たちが民俗の伝統と誇りを受け継ぐ場だということを認識した次第である。

 

 

 

トラキア人の古墳

 町の北東トユルベト公園内にあるトラキア人の墓はユネスコの世界文化遺産。

  ブルガリアの先住民族トラキア人がいつの頃からバルカンに足跡を残したかは定かではないが、遅くとも青銅器時代(BC3000〜2000年)には、トラキア人の社会が形成されていたという。   

 トラキアの遺跡はブルガリア各地にあるが、カザンラクの壁画のある墳墓(BC4世紀)が有名。           

 墳墓の発掘には発掘後の十分な管理設備がないと許可がおりない。   

 1944年発掘された本物は保存小屋のなかで、一般旅行者は見学不可能。

 そばに精巧なレプリカがある。忠実に再現され、戦闘場面や葬送儀礼の様子が数種類の色使いで描かれていた。

 

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