クスコ
ペルー

 

 サクサイワマン

 クスコの東側、市街を見下ろす頂きに築かれた城塞の跡。1536年、インカ帝国軍が起死回生の蜂起をした時、ここに陣取り、クスコのスペイン人を震え上がらせたという。巨石を3層に積み上げ、長さはいずれも360m。空中からは各層が稲妻状に見える。

 石造建築の見事さもさることながら、これだけ大量の巨石を鉄と車輪を持たなかった彼らが何処でどう切りだし、運んだのか謎は多い。

 第1層に使われている最も大きな石は高さ9m、幅5m、厚さ4mで重量は推定360tもある。

 遺跡の前の広場は市民には無料開放されており、休日にはピクニックやボール遊びを楽しむ人々で賑わう。 

 

  

 中心のベロニカ山 

  歴リマから空路1時間、ベロニカ山を中心にアンデスの山塊が間近に見える頃、眼下に赤い屋根の家並みが広がる。標高3300mあまり。インカは何故こんな高所の盆地に首都を定めたのか。

 帝都クスコの歴史      

 13世紀クスコに小さなインカ族が存在。15世紀の半ば過ぎ、徐々に拡大し、国家となる。第9代皇帝パチャクティは、クスコをインカの聖都とした。 

 北はコロンビア南端から南はチリ・アルゼンチンに至る広大な領土の中心地だった。

 無文字のインカだったので、スペイン人記録により、さまざまなことが明らかになった。

  

左側サルカンタイ山

1533年フランシスコ・ピサロの率いる200名弱のスペイン人に征服された。1533年、第13代皇帝アタワルパが絞首刑に処されたことにより、太陽の子インカが治める黄金の帝国は、滅んでしまったのである。 

 クスコは驚くべき精緻さを持つ、インカの石積と、スペインの征服者が建てた、荘厳華麗な建築の2つの異なる文明の同居した光景を見ることが出来る。                        市内はアルマス広場周辺に見所が集中しているが、治安が悪いので夜の外出は控えたい。

 マチュピチュ観光も早朝クスコを出発して、バスで1時間半、登山電車で1時間半かけて、夕方戻る1日ツアー。

 到着したら、まず、高所に慣れるため、体を休めることが大切。

 

 
 

   クスコ注意

 南クスコは高地なので、ゆっくりと体を休めて徐々に慣れる。急激な動きはさける。

 普通でも動作は鈍く、軽い頭痛はつきもの。

 高山病の症状は、頭痛・吐き気・等気分が悪く下痢を伴ったり人によってことなる。 

 予防は体内にガスがたまり、お腹が膨らんで苦しくならぬように、体調を整え、過食をさける。コカ茶を飲むことも一つの方法。                            

 運悪く重い高山病になってしまったら、医者にかかる。往診してもらってもUS$100位。旅行保険は証明書を貰って置いて、日本に帰ってから、請求の手続きをすると返還される。

 夏だというに、クスコ早朝と夜は、真冬の寒さでオーバーが欲しい。ホテルの部屋のストーブは1晩中欲しい。乾燥するので絨毯に水をたっぷりとまく。

 ホテルでは、いっせいに、暖房するので、停電する。ローソクが配られるのを待つと、朝になってしまうので、携帯してください。

 リマのホテルにスーツケースを預けて、2日分の荷物を持ってここクスコにやってくる。

 杖は山登りには楽だが、機内持ちこみは、凶器とみなされるので出来ない。手続きをして機内預けとする。

 遺跡めぐり携帯品は、雨具、防寒着、日中は半袖、防虫スプレー、水等をリュックに入れて移動する。

 

 

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