仏歯寺

 仏教徒のシンハラ人にとって、仏陀の歯を安置する仏歯寺の存在は、民族最高の象徴だ。

 絶えることなく参拝者が訪れる。

 年に一度、夏に行われるペラヘラ祭りは、仏歯寺に安置されている仏歯の入った仏舎利を、華麗な衣装をまとった象の背に乗せて、町を練り歩く。       

 その後を伝統的な音楽や舞踊のグループが続き、壮麗な行列が繰り広げられる。

 

7.キャンディ

 

 

 

 


キャンディアン・ダンス

 スリランカを代表する芸能。

 宮廷内で踊られていた舞を中心に、スリランカ各地の民族舞踊を組み込んだもの。

 激しい伝統的なドラム音楽で始まる。

 

 


 キャンディアン・ダンス

 ダンスは神聖なものであり、いくつものテーマを持った踊りが次々と披露される。

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キャンディアン・ダンス

 他に職業を持つ人々が、踊りを伝え続けているのだという。

 ペラヘラ祭りにもこの踊りは欠かせない。

 踊り手の衣装や装飾、楽器にも特色がある。

 神聖な踊りだが、その力強さ、激しさの中に優雅さもあり、見る者を惹きつけてやまない。

 

 

 

結婚披露宴

 偶然にホテルで結婚披露宴をする花婿花嫁の入場場面にめぐりあった。

 キャンディアン・ダンスに先導されてやって来たお二人はとても幸せそうでした。

 明日の釈迦尊の誕生日を祝う為、思い思いのデコレーションをした提灯を軒先に飾りつけます。 

 また、この日は祭日で休みになるので、結婚式や旅行などが多いそうです。

 マーケットやバザールなどもお休みでしたが、道はカラフルな仏教の旗が、風になびいていました。

 

キャンディ

 聖都キャンディも世界遺産であり、1521年〜1815年まで、スリランカの首都であり、コロンボの次に、最も発展している現代都市である。

 歴史・・・キャンディの歴史は15世紀に始まる。

 シンハラ王朝は紀元前にアヌラーダプラに最初に首都を置いた後、インドからの侵入者に追われて、南へと遷都を続ける。

 ポロンナルワ、ダンバデニヤ、ヤーパフワ、クルネーガラ、ガンポラを経て、1474年にキャンディに移り、一応の落ち着きをえた。

 1505年から植民地政策に乗り出したポルトガルをオランダと組んで追放した。

 オランダは初めキリスト教を広める一方で仏教も保護したので、キャンディ王朝も栄華を極めた。

 しかし、ポルトガルの時と同様、貿易権をめぐっての対立が起こり、今度は当時インドを制覇していたイギリスと組んでオランダを追放した。

 しかしイギリスは強行政策をとり、王朝内の内紛に乗じてキャンディを滅ぼした。(1815年)

 300年以上続いたキャンディの滅亡は、シンハラ王朝2千年の歴史の終わりでもあった。

     

 

    

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8.ウダワラウェ・ペーラーデニヤ

・ヌワラエリヤ