6.アンカラ   

 
   
 

 


アタチュルク廟
 

 アナトリア高原の西寄りにある、人口370万人のトルコ共和国の首都。

 初代大統領ケマル・アタチュルクは1923年の共和国誕生と同時に、人口わずか6万人のこの地方都市を首都に定めた。

 以来アンカラは都市計画のもとに、急速に開発が進められ、トルコ近代都市のモデルとして、道幅の広さや整備された公園の様子などは、トルコの他の街とは違う、モダンな雰囲気を感じる。

 とはいうものの、アンカラの歴史は古い。新石器時代から人が住んでいた。

 ローマ時代には、アンキラと呼ばれ、当時の建造物も、市内のあちこちに残っている。

 昔から地下水が豊富だった。

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アタチュルク廟
 

 アタチュルク廟は、トルコ共和国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルクを葬る為に、1944〜53年にかけて造られた霊廟。

 この丘は全アンカラを見渡せる位置にあり、国営放送TRTが、1日のテレビ開始と終止時に、国歌と共に映すほど眺めがいい。

  霊廟のある建物を取り囲むようにある回廊は、博物館になっていて、アタチュルクの蝋人形や肖像画、各国要人からの贈り物、愛用した品々などが展示されている。

 トルコの人はみんなアタチュルクを尊敬しているので、実際、大切に保存されている遺品の数々は、トルコ人の彼に対する愛情が感じられる。

 

 


廟を守る兵隊さん
 

  廟を守る兵隊さんは若者が多く、衛兵交代時の、絵のような様子に、思わず見とれてしまった。                     

 徴兵は18歳〜40歳までで、18ヶ月。  

 トルコの教育制度は、6歳より、5・3・3・4最初の5・3が義務教育で85%の就学率だという。              

 大学は、現在58校あるが、イスタンブール大学は国立で、学費は3万〜4万位、私学は3倍10万位。         

 ちなみに生活費は田舎で3万〜4万位、都会で7万〜8万位かかる。   

 入試はむずかしいが、教育方法は選択出来、神学校を除いて男女共学制は、イスラム圏では、ここトルコのみである。                                  

 今までに訪れたイスラム圏と全く異なる自由な雰囲気のあるトルコは、旅行者にとっても居心地の良い場所だった。    

 トルコ人はいう。アタチュルクが政教分離したからだと・・・・・

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アナトリア文明博物館
 

 もともと隊商宿として建てられ、15世紀に貴金属市場となったものを、博物館に改造した建物。

 旧石器時代から始まり、復元されたチャタル・ホユックの家、新石器時代のもの、青銅器時代のものを展示している。

 角を曲がり、アッシリア植民地時代のもの、ヒッタイト時代の物が並び、フリュギア、ウラルトゥの遺物が続く。

 最後はギリシャ、ローマ時代となっており、貴重な出土品ばかりを集めた世界に誇る博物館だ。

 トルコの学生さんと知り合い、たどたどしい英会話の交流をした。

 

 


アナトリア文明博物館の地母神の坐像

 チャタル・ホユック

 人類最古の集落といわれ、紀元前7000年頃の遺跡が確認されている。

 紀元前6500〜5600年頃の家屋も復元されている。

 地母神の坐像もチャタル・ホユックの有名な出土品である。            

 紀元前5300年頃になると土器が作られはじめた。ハジュラルから出土したものは、表面はクリーム色の土が使われ、幾何学模様が描かれ、美術的にも高く評価されている。

 

 


スタンダード3頭の鹿

 紀元前3000〜2000年になると、高度な冶金技術が生まれた。                     

 その為銅、金、銀、錫などを材料に、高い芸術性も併せもった作品が展示されている。

 スタンダードと呼ばれる造形物は、まだ何に使われていたのかわかっていない。アラジャ・ホユック出土のものも多く、スヒイェの交差点に飾られている。

 宗教的なシンボルの3頭の鹿を型取った像のオリジナルも見られた。     

 青銅製のスタンダードはヒッタイト芸術の傑作として名高い。

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