1. ギザ   

 
   
 

 


ギザの三大ピラミッド
 

 永い歴史の国、エジプトでは、紀元前2500年頃、後に第4王朝と呼ばれる王(ファラオ)の時代でした。この時代を代表するものがピラミットです。

 リビア砂漠の東端の台地、ギザに向って左手から、クフ王のピラミット、カフラー王のピラミット、メンカフラー王のピラミットが並び、ギザの三大ピラミットと呼ばれています。

 ピラミットは古代エジプト3000年の全期に亘って、継続的に築かれたわけではありません。

 第3王朝にはじまり、第4王朝で最高潮に達し、第5王朝で安定し、第13王朝まで続いたのです。第17王朝に、いくつかの煉瓦のピラミットが築かれましたが、第3王朝以来の石造ピラミットの歴史は、第13王朝で終わっています。つまりピラッミットの建築期間は1000年であったということです。

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クフ王のピラミッドと入場口
 

 クフ王の大ピラミットは、スネフル王の子であるクフ王が、ギザ台地に建設したピラミットです。

 クフ王の大ピラミッドは、頂上部を約10m失っていますが、建造時には、基辺230m、高さ146mでした。

 4面を正確に東西南北に向け、水平誤差も殆どない。

 鉄の棒は、本来の頂上を示している。かつて表面は外装用の化粧岩で覆われていたが、今では全部盗まれて、ゴツゴツした石がむきだしになっている。

 途中の穴のあいているところは、盗掘用入口だったところを、内部へ侵入するためアラブ人が、掘削したトンネルが、今は見学用に利用されています。

 

 


クフ王のピラミッド内入場口へ向う石段を登る
 

   このピラミットに使用された石の数は、平均2、5t の石が230万個以上で、圧力をうまく分散させて積まれている。その総重量は約570万t に及んだと推定される。

 完成時には表面は化粧石で覆われなだらかな斜面だった。
  
  石材の高さは、第1段が1,5m、第2段が1,25m、第3、第4段が1,2〜1,1mでそれ以後は65cm〜90cmの間です。 

 石段の数は現在は201段、当初は215段〜220段あったはずという。

 この写真はピラミット内を見学するために、石段を登っているところです。数字では表せない見た目の比較で、それがどんなに大きいものか、おわかり頂けましたでしょうか。

 内部は地下の玄室、女王の部屋、王の玄室、大回廊がある。王の玄室の上には通称「動軽減の間」と呼ばれている5つの空間がある。

 1837年クフ王の名前と治世年の記述が発見された。

 ピラミッドを目の前にした時は、言葉に表せないくらい、とにかく圧倒されました・・・数千年の歴史を経た今でも、変わらぬ存在感に、ただ、ただ感激しました。

 

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太陽の船博物館
 

 クフ王の船。大ピラミッド南側で1954年、発見された竪坑には、解体された船が納められていた。

 4500年も前の船の実物が、破損もなく現代に蘇り、ここに展示されている。発見当時この船は、数万というパーツにわかれていたので、復元するのに14年もかかったという。

 良質の杉材(レバノン杉)で造られており、全長43mの巨大なもので、実際に航海したことがわかっている。

 


カフラー王のピラミッドとスフィンクスと河岸神殿

 カフラー王のピラミッドは、3つのピラミッドの真ん中に位置し、規模はクフ王のピラミッドに次ぐ。高さ143m。 ピラミッド複合体の保存状態も良く、化粧石も残っている。現在では、頂上部が欠落しているクフ王のピラミッドより大きい。

 底辺の1辺は215m、傾斜角度は53度10分。玄室の内部には、花崗岩製の石棺が置かれていたが、中身は空だった。

 このピラミッドの特徴は、大スフィンクスが付属していること。

 写真左手(カウラー王のピラミッド正面)に葬祭殿があり、ここから真っ直ぐ河岸神殿に通じている。これらをまとめてピラミッドコンプレックスと呼んでいる。

 スフィンクスは岩盤を削って造られた、全長57m、高さ20m。額にコブラがついたネメスという頭巾をかぶり、顎には付け髭をつけていた。(現在大英博物館)鼻は風化した。紀元前2500年頃に造られたとされている。

 河岸神殿の壁柱には装飾はなく、美しく磨かれたアスワン産の花崗岩が用いられている。

 メンカフラー王のピラミットは一番奥にあり、高さも65,5mと3つの中で最も小さい。 底辺の1辺は104,6m、傾斜角度は51度20分。

 このピラミットの表面の化粧石は、残存部分から想像すると、これまでのピラミットのような、石灰岩ではなく、花崗岩であったことから、外見が少し赤ぽかったのではないかと考えられている。

 19世紀初頭、このピラミットから見事な石棺が発見された。1838年10月イギリスへ向った船は、石棺を載せたまま、沈没、海底に沈んだ。

 この向こうは、もう西方(リビア)砂漠。南側には、王妃のピラミッドが3基ある。

 

 


サッカラの階段ピラミッド

 サッカラは、第1王朝からローマ支配時代まで、3000年以上もの長きに渡って、墓や神殿が造営された巨大なネクロポリス。この地に第3王朝2代目のジョセル王が、人類最初の大石造建築ピラミッドを造った。

 1辺約60mの台形状のマスタバ(地下の墓を覆う梯形の保護建造物)墳だったが、数回の改築によって6段の階段ピラミッドになった。

 基底部は140×126m、高さ約60m。死後王の霊が太陽神ラーに向って昇っていくというイメージから生じた形だと考えられる。

 

 


ダハシュールの赤のピラミッド

 ダハシュールには2つのピラミッドがある。これらはクフ王の父のスネフェル王(第4王朝)が建設したもの。

 北のピラミッドは赤っぽい石が使われているので、赤のピラミッドと呼ばれている。

 断面が二等辺三角形の、真正ピラミッドとしては、最古のものとして有名。内部見学は、ギザよりハード、中の通路の壁や天井を見ると、外側より石の赤さがくっきりしていた。      

 その角度は屈折ピラミッドの上部と同じである。1辺220m、高さ100mの規模である。外装の石灰岩は失われている。

 


屈折ピラミッド

 南のピラミッドは、高さ105mの真ん中(下から50m位)の地点で、角度が変わっているので、屈折ピラミッドと呼ばれている。

 下部の傾斜は52度、上部は43度と、傾斜がゆるくなっている。

 理由はメイドゥームのピラミッドが、崩れて失敗した為とか、王の死が近いので、工事を急いだからなどと言われている。

 ここは軍事施設に近いのでギサのように、物売りやラクダ引きもいない。静かな砂漠だ。

 丁度もやっていて、屈折ピラミッドが撮れなかったので、屈折度を確認してもらうために、入場券をスキャンしました。

 ピラミッドの成り立ちを、考証するうえで、考古学上貴重なものと、いわれている。

 

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