3. アブ・シンベル   

 
   
 

 


アブ・シンベル大神殿

 アブ・シンベル大神殿は、アスワンの南280km、ナセル湖のほとりにある。北回帰線を越え、スーダンとの国境まで後わずか、エジプト最南端の見所である。

 この神殿は、アスワンハイダム建設時に、水没の運命にさらされ、ユネスコが国際キャンペーンにより救済した。

 1964年〜68年にかけて工事が行われ、大小2つの神殿をブロックに切断する方法で、元の位置より90m上に、そっくり移動することに成功した。

 神殿は古代エジプト新王国時代、第19王朝3代目の王ラムセス2世(紀元前1304〜1237在位)が、約3300年前、岩山の中を、掘って造った岩窟神殿。

 1813年、スイスの探検家ブルクハルトが発見した。

 神殿の正面は高さ33,8m、幅38m、奥行63m。正面4体の座像も、岩山に直接彫刻して造ったもので、高さは20m、左手前の座像の落ちた首は、移築前の状況を実現した。 

 

 

 


大列柱室のレリーフ
 

 大神殿内部は、列柱室と呼ばれる四角い部屋(18m×16,7m)で、オシリス神の姿をした、ラムセス2世をかたどった、高さ10mの角柱が、両脇に4本ずつ、計8本並んでいる。

 左側の像は上エジプトの白冠を、右側の像は二重冠を戴いている。胸の前で交差した手には、杓と鞭をもっている。

 天井中心部は、上エジプトの守護神ネクベトを象徴するハゲタカ、側廊天井には星が描かれている。

 

 


カデシュの戦い(戦車)
 

 壁面装飾は、ラムセス2世の戦勝をたたえている。
  

 北面は、ラムセス2世の統治5年目に、ヒッタイト軍との間で起きた、カデシュ(現在のシリア)の戦いの、諸場面をテーマとしている。

 特に戦車に乗り、敵に向って弓を引く勇壮なラムセス2世の姿は躍動的だ。

 

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至聖所と4体の神像
 

  神殿入り口から、65m内部に入った岩盤中核部に、神域の至聖所がある。

 その奥の4×7mの小部屋に、ハルマキス、神格化されたラムセス2世、アモン・ラー、プタハの4体の神像が座っている。

 この像については、正確な計画に従って配置されていることを、シャンポリオンが発見した。これは・・・

 「太陽の奇跡」年に2度、特定の日の明け方、太陽光線が真っ直ぐに、この至聖所まで差し込んできて、アモン神、ハルマキス神、ファラオの像を次々に、照らし出し20分後に消えるというのだ。

 神殿救済の後、1969年2月、3000年前と全く同じように、太陽光線は至聖所に差込み、「太陽の奇跡」は見事に再現された。

 プタハ神に、全く太陽光線が当らないのは、プタハが闇の神だからであるらしい。


ハトホル神殿(アブシンベル小神殿)

 ラムセス2世が、愛するネフェルタリ妃に捧げた建造物。高さ10mの6体の石像は、左足を軽く前に出し、まるで、岩盤から抜け出して、光の方へ歩き出すような、姿勢をとっている。

 ネフェルタリ妃は、ハトホル女神の姿で表現されている。聖なる雌牛の角を生やし、太陽盤と2つの羽毛を備えている。

 アブ・シンベル神殿の、音と光のショーは、とても感動しました。プロジェクターを使い、神殿の岩山をスクーリンに見立て、美しい映像を、スクロールさせ、迫力がありました。

 内容は、描かれている壁画に、まつわるストーリーが上演されるので、見るだけで、アブ・シンベル宮殿を良く理解できた。

 また早朝ここを訪れ、ナセル湖に昇る日の出を待っていると、さまざまな色合いを、刻々と織り成す光と雲、それは見たことのない、美しい色彩だった。

 

 


ハトホル女神の角柱

 小神殿の内部は、正方形の部屋になっていて、ここにハトホル女神の姿を刻んだ、角柱が両側に、3本ずつ並んでいる。

 女神の頭部の下には、ネフェルタリとラムセス2世の、歴史が刻まれている。この部屋の壁面には、供物の場面と、捕虜を虐殺する武装姿の王が、描かれている。

 この部屋に続いて、前室が設けられ、その奥が至聖所となっている。ここにハトホル女神の姿をした、ネフェルタリの像がある。

 聖なる牛の姿をしたハトホル像が、2本の角柱の間に立っていて、岩山から抜け出ようとするかのように感じられる。

 ハトホル神殿の内部装飾の一部と、角柱の細部(女神の頭部の下)には、ファラオ夫妻の歴史を刻んだ、ヒエログリフが見られる。

 ハトホル神殿内部は総じて素朴な造りになっている。

 神殿救済後話・・・もとの場所にあったのと、全く同じ状態で、よみがえったとはいえ、神殿の上に、設けられる人口岩山が、自らの重量を支え切れず、崩壊するのは、目に見えていた。

 そこで岩山の圧力を支える補強セメントの、巨大ドームが建設された。このドームを元の岩山の、岩塊が覆い隠し、砂が接続部分の裂け目を埋めた。

 1968年9月22日、世紀の引越しは終わった。間一髪だった。元の岩山の穴の中には、もう既に水がゆっくりと浸入し始めていた。

 神殿は新しい場所に、全て正確に元の通りに再現された。

 

 

 


切りかけのオベリスク

 古代エジプトから使用されている石切り場。赤色の混ざった花崗岩はアスワンの名物だ。長さ41m、重さ700tのオベリスクは、完成していれば世界一のオベリスクだったといわれている。

 また、切りかけのオベリスクは、古代の石切り技術がわかって興味深い。

 まず石に切り込みをつけて、そこに木のくさびを打ち込み、次に、くさびを水で濡らす。するとくさびが膨張し、滑らかに切れるそうだ。

 一つの石からオベリスクを造り、それを遥か遠くテーベ(ルクソール)、メンフィスまで、非動力船で運んでいたとは、只々驚かされるばかりだ。

 


アスワンハイダム

 アスワンの町から南方12kmの地点にある。

 幅3600m、高さ111mの巨大ダム。

 体積はギザのピラッミドの92倍に当る、2億379万?(東京ドーム約164個分)。

 1970年、ドイツと旧ソ連の協力によって完成した、エジプトが誇る、現代の巨大建築だ。

 この世界一のダム建設によって、世界一の全長500kmに及ぶ人造湖、ナセル湖が生まれた。

 湖の面積は、琵琶湖の7,5倍といわれている。アスワンでは、エジプト国内の総電力の1/5が発電されている。電力供給はかつてに比べて安定した。

 ナセル湖によって、新たな問題が起きている。今まで全く発生しなかった雲や、時には雨が降るなど、自然のバランスが崩れ始めているのだ。その為ベドウィンの移動ルートも変化したという。

 また、洪水が起こらなくなって、土壌に塩分がたまってしまい、環境破壊という問題も表面化し始めている。

 その為、一時は伸びた農業生産も、エジプトの急激な人口増加に追いつかず、かえって塩害が農業を悩ませるという、当初予想もしなかった結果になってしまった。

 ダム建設に対する自然のしっぺ返しが懸念されている。

 

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