1.イスタンブール   

 
   


トプカプ宮殿・帝王門
 

 15世紀半ばから20世紀初頭にかけて、強大な権力を持っていた、オスマン朝の支配者の居城である。

 三方を海に囲まれた丘の端、東西交易の接点、ボスポラス海峡を見渡す位置に建つ。

 トプ=大砲 カプ=門 サライ=宮殿

 1453年メフメット2世は、イスタンブールを陥落し,1460年代に宮殿を着工した。その後代々のスルタンが当時の建築様式に従って、増築を重ねた。

 70万uの敷地を持つ宮殿はひとつの町を形成し、現在も修復中で、公開されていない箇所もあるが、博物館として当時の 栄華の歴史を今に伝えている。  

 財宝類は、4つの部屋に分けて展示しているが、総収蔵点類は不明だという。

 イスタンブールはオスマン朝時代に入ってからは、一度も侵略を受けていないので、膨大な秘宝が残った。3つの大きなエメラルドと,時計の付いた「トプカプ短剣 」、86カラットの大きなダイヤを49個のダイヤで取り囲んだ「スプーン屋のダイヤモンド」などが有名だ。

 またチューリップがデザインされた装飾品を見かけるが、チューリップの原産地でも有名で、往時はヨーロッパなどで、貴重な花としてもてはやされたという。

 



ボスポラス海峡

   イスタンブールの歴史

 「ヨーロッパとアジアの架け橋」、東西文明の接点イスタンブールは、ボスポラス海峡によって、ヨーロッパ側とアジア側に分かれている。

 観光スポットやホテルが多いヨーロッパ岸側は、オフイスや商店など都市機能も集中しているので、アジア側の住宅街の多くの人々がフェリーで通勤している。

 幅800mのボスポラス海峡クルーズもイスタンブールを満喫させてくれる。

 イスタンブールは、ローマ、ビザンツ帝国にオスマン朝、合わせて122人の最高権力者が手にした街。その間ざっと1600年。日本では弥生時代から大正時代にあたる。                               

 紀元330年5月11日、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は、都をローマからビザンティオンに移し、「新ローマ」と名付け、東半分の首都とした。(ビザン ティン帝国)

 1453年5月29日、オスマン朝スルタン、メフメット2世が攻撃し、この街を首都とし500年繁栄を極めた。         

 ビザンティオ、コンスタンティノープル、イスタンブールと歴史の中で3度名を変え、現在は1200万人の99%がイスラム教を信仰している。

 1923年10月13日、アンカラを首都とする憲法改正案を採択、ここにイスタンブールが首都である時代は終わった。

 


スルタンアフメット・ジャミイ
 

 このあたりの地域名になっていて、旧市街の観光の中心に位置する。

 トルコのジャミィは丸天井のドームと尖塔(ミナーレ)に特徴がある。

 高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームを持っている。

 6本のミナーレを持つイスラム寺院は世界でも珍しい。

 内壁は青を主体としたイズニック・タイルで、「ブルーモスク」の愛称で、親しまれている。      

 

 

 


聖母子像
 

 紀元330年5月11日、ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝は、都をローマからビザンティンに移し、コンスタンティノーブルと名付け、新しいローマ帝国の東半分の首都とした。

 6世紀、ユスティニアヌス1世時代に、ギリシャ正教の大本山となるアヤソフィア、ビザンティン建築の最高傑作と評される大聖堂が造られた。

  直径31mの大ドームの円屋根、内部には沢山のモザイク画が残り、ビザンティン文化を象徴している。  

 1453年コンスタンティノーブル(イスターンブール)が陥落すると、聖堂はジャミイに変えられた。

 モザイク画も漆喰で塗りつぶされ1931年、アメリカ人調査隊に発見され、ビザンツ時代の遺跡として、再び脚光をあびる。

 初代大統領アタチュルクは博物館として一般公開した。南回廊に有名な聖母マリア、ヨハネと共に描かれたキリストのモザイク画などがある。

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逆さのメドゥーサ
 

 イスタンブールの旧市街には、地下貯水池が数箇所発見された。

 なかでもこの貯水池は、4世紀から6世紀、コンスタンティヌス帝の時代に造られたものだと言われている。

 オスマン朝トプカプ宮殿のスルタンの喉をも潤したという。

 縦140m、横70m、高さ8m程で内部はコリント様式の柱で支えられている。

 薄暗い宮殿の一番奥に、巨大なメドゥーサの首が2基見えた。メドゥーサは、見た者をたちどころに石にしてしまうという伝説がある。

 

 


グランドバザール

 トルコ語でカパル・チャルシュという。屋根つき市場という意味。ここの屋内市場は、中東最大ともいわれる大規模のもの。                

 もともとは、15世紀半ばに、メフメット2世により建設されたイチ・ベデステン、サンダル・ベデステニという市場が中心となっている。                           

 古くからイチ・ベデステンには、金銀宝石を扱う貴金属店が集まっている。

 サンダル・ベデステニは絹などの商品を扱っていた。

 その後バザールは増殖を続け、現在のような巨大市場へと成長した。

 近年は貴金属、宝石類はあまり安くないようだ。

 

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スユレイマニエ・ジャミイ

 

 オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主スユレイマン大帝が造らせた寺院。

 金角湾を見下ろす高台に、1557年完成した。

 ミマール・スィナン、トルコの最高建築家の手によって、59m×58mの床面に直径26.5mの円形屋根を乗せ、高さ53mの大ドームを仕上げた。

 内部の装飾も、16世紀に造られた彩色ガラスを用いたステンドグラスが極めて美しい、市内一の巨大モスクだ。

 

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