3.パムッカレ   

 
   
 

 


石灰棚
 

 世界遺産の壮大な石灰棚は、トルコ語で「綿の城」という意味を持つ。         

 石灰棚は台地上部から流れ出る、石灰成分を含む湯が、長い時を経て結晶し、台地全体を覆ったもの。

  麓から見上げると、真っ白い雪山のようである。

 空のブルーとのコントラストが映える、石灰棚の美しさも堪能出来る温泉保養地だ。

.

 

 


石灰棚
 

 石灰棚のところどころに温泉水が溜まった池があり、水着姿で泳いだり、湯に浸かったりしていたのは、昔のことだ。

 現在は温泉が涸れつつあるので、石灰棚へは、侵入が禁止されている。

 脇の溝の中に足を入れると、暖かい温泉が流れていた。                

 

 

 


レット・スプリング(鉄分が多い温泉)
ヒエラポリス

 石灰棚を望む岡の上には、ペルガモン王国やローマ時代の遺跡が広がっている。

 BC190年代に、ペルガモン王エウメネス2世が建造した都市の遺跡。

 パムッカレ・テルマルの裏にある、プルトニゥムという穴の中から、有毒ガスが出ていた。                   

 ガスを少量利用した司祭が、トランス状態で、神託を与えたのでヒエラポリスには、聖なる都市という意味がある。

 

.

 


ドミティアン門
ヒエラポリス

 南北2つある北浴場の隣に見える、3つの連続アーチと円筒形の石積みは、町の南北を貫く大通りの北の端の門。

 84年〜85年、ドミティアヌス帝を讃えて造られた。ローマ様式をよく表している為、ローマン・ケートとも呼ばれている。

 

 


ネクロポリス

  北入り口に近い所に、千を超す墓がある。古代共同墓地の規模としては、この国最大ともいえる。

 墓の様式もヘレニズムからビザンティのものまで様々で、長い期間利用されていたことが伺える。

.

 


ネクロポリス

 ヒエラポリスは、ローマ・ビザンティ時代までの長きに渡り、繁栄した。

 BC2世紀にはハドリアヌス帝が造ったローマ劇場やローマ建築の大浴場が南北に造られ、その繁栄振りが偲ばれる。

 この大都市で病人は温泉治療を受け、最後にはネクロポリスに葬られたという。

 この一貫した都市機能があったということは、いまさらに驚嘆せざるを得ない。       

 

         ホームへ

 

旅へ

               

               トップへ

 

               4.コンヤへ