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緑色のタイルで覆われた円錐形の屋根を持つ霊廟は、13世紀末に造られた。 外部はオスマン朝時代に、スユレイマン大帝らの寄進により建設された。 1925年、アタチュルクの命により、メヴレヴィー教団は解散、修行場は閉鎖。1927年3月3日以降、メヴラーナ博物館として、一般公開されている。 コンヤはアナトリアの芸術、政治、学問など文化面を語る時に欠かすことのできない、重要な都市だ。 . |
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旋舞教団として知られるイスラム神秘主義の一派、メヴレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟。 町自体は先史時代まで遡る程、古い歴史を持つ。1077年、ルーム・セルジューク朝が首都をイズニックからコンヤに移した後、カイクバード1世時代に著しく発展した。 この頃芸術家や建築家、イスラム関係の科学者などを東方から集めて学校が開かれ、コンヤ文化が花開いた。 勿論メヴラーナもそうした学者の一人であった。現在も市内に残っている神学校や遺跡の殆どがその頃のものだ。
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セルジューク朝時代、オスマン朝時代の工芸作品なども展示されていた。 勿論メヴラーナの愛用品や衣服も展示されている。 中でも手書きの詩の本や、クールアンの写本、ルーミー直筆の本は、非常に美しい。 . |
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中央のガラスのケースには、ムハンマドのあごひげを入れた箱が置かれている。 ムハンマドの形見となるものが、収められているとメッカとして礼拝できる。 この霊廟へは銀の扉、銀のステップから入るようになっている。 銀の扉はくるみ材を用いた重厚なもので、1599年にハサン・パシャから献上された。 別棟には修行僧の生活を表した人形が展示されている。
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1251年、セルジューク朝のジェラレッディン・カラタイ宰相によって造られた神学校。 特徴的な正面の門は、セルジューク様式の美しい浮き彫りやスタラクタイト(鍾乳石飾り)で飾られ、芸術的価値も高い。 現在は陶器博物館として、町の城塞からの出土品などを展示している。 内部はセルジューク期の美しい黒と青の陶器モザイクで飾られ、ひとつひとつの模様に生命のはかなさなどの、意味が込められている。 . |
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ここのドームは四隅から5個ずつ出ている細い三角形と、その間を含めた正24角形の天井により、支えられた、「ターキッシュ・トライアングル」と呼ばれるトルコ独特の建築様式で造られている。 映像を大きくしてご覧ください。全体は撮れませんでしたが、ドームの天井部分を見てイメージしてください。 ドームの下の泉には、かって水があふれ、天国を表していたという。
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